まっくら森の歌

わんこの姫君・凛の想い出、にゃんこの姫君・由との日々。

芸術に寄せて  

> KaoRi&Co. @_K__a_o__R__i_
>
> 4月ですね。#metoo が始まってもう6ヵ月。すっかり出遅れ感があるけれど、必要な所に伝わってほしい。
> 大人を信じるのはやめて、自分を信じられる大人になってほしい。ようやく気づいた私の失敗談です。
>
> その知識、本当に正しいですか?


個人的に、アラーキーこと荒木経帷氏の写真を「凄いなあ」とは思う。
一方で、「あたまおかしい系のひとなのだろうな~」とも思っていた。

やっぱりか!って感じ。
写狂老人とか自称できる神経って矢張りキチガイ的なんだなって。

暴言ですかね?

別に「芸術は爆発だ!」とか「鬼気的な迫力こそ芸術!」とか思っているわけではないけれど、“凄い”と評価されるものって詰まるところ“突出したモノ”じゃないですか。
世間一般の枠組みの中にキレイに嵌っているものを“凄い”とは評価しないですよね。

“凄い”と称されるものは須く破綻している。

そもそも、「凄い」の第一義って「ぞっとするほど恐ろしい」とか「非常に気味が悪い」なのですよね。
たぶん現代で一般的に使われているだろう意味の「程度が甚だしい」とか「並外れている」とかって、実は第二義に過ぎない。

“恐ろしい”モノが“美しい”カタチをしていることはあるけれど。刀剣とか銃器とか戦闘機とか。
でも、その美しさを生む恐ろしさは、往々にして醜悪さを内包している。
そして、その“醜悪さ”は性暴力とか搾取とかいうカタチで発露されていることが、実に多い。

恐ろしさや破綻を美しい謂い回しで「天賦の才」とか云うこともあるようですけれど。
「天才」や「鬼才」を、内包する醜悪さの、畢竟、人間性との乖離の、その違法性の免罪符に振り翳すのは如何なものかと。

結局のところ、【価値】というものは共通の閾値の上に成り立つものですから。
閾値が変われば価値も変わる。

昨日の価値は今日の無価値。

性暴力とか搾取とか、人間性からの乖離を踏み台に成り立って来た価値は、いつかの日か、きっと、無価値になる。
ならなければならない。

娘を焼いた老絵師は、遂には縊れ死んだのだから。



Posted on 2018/04/08 Sun. 20:26 [edit]

category: 徒然

thread: 徒然なるままに… - janre: ブログ

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