まっくら森の歌

わんこの姫君・凛の想い出、にゃんこの姫君・由との日々。

「死んでも彼らに痛みは届かない」  

金曜ドラマ『アンナチュラル』7話でのミコっちゃんの言葉ですが。

なんと申しますか。
他人の痛みが解るとか、これってタダの幻想ですよね。

他人の気持ちを思い遣れ、とか。訳知り顔の有識者とかが宣ったりしますけれども。
無理でしょ。

人間なんて所詮は主観でしか物事を認知できないわけですから。
他者の気持ちとか、永遠の謎ですよ。
死者の問に限らず。
生者の問ですらも。

寧ろ、解った積もりの人のほうが、全然解らない人より却って有害だったりもしますしね。

同じ物事を視ても、視た人間が十人いれば十通りの視え方があるし、
同じ苦労をしても、百人いれば百通りのツラさがあるし、
同じ傷を負っても、千人いれば千通りの痛さがあるわけでして。

幾ら自分の経験や価値観を総動員して想像しても、主観の枠を越えることは出来ないのですよ。
結局、誰かの痛みは本人にしか解らないし、畢竟、本人以上に痛い人なんか居ないわけで。

誰もが其々に「世界で一番不幸」なのですよね~。

解らないからこそ、他者には使い勝手は甚だ悪いですけど「言葉」という道具を尽くして説明せにゃならん。
「察してくれない」とかほざくのは怠慢です。
説明を怠って「解ってくれない」とかほざくのは、それはもうタダの大莫迦者でしょ。

人間なんて、そもそも解り合えないモノですよ。
解り合えるなんて、幻想を抱くことがそもそもの間違いなのですよ。

裏切者。

と。
久部くんは云われてましたけれども。
「裏切る」という事象は、そもそも信用を得ていなければ発生しませんよね。
信用には他者への期待が隠れているわけで。

期待と云うものも結構な曲者で。

気を付けないと直ぐに過剰に成り勝ちだったりしますよね。
過剰に求めなければ「失望」なんかも発生しないのですけどね。
てゆうか「過剰」に成った場合は、それはもう「期待」ではなくて「甘え」なのですよ。

不幸な人って、全然理解して呉れなくて手も貸して呉れない無関心な人より、少し扶けてくれてでも期待ほどには扶けて呉れなかった人のほうを余計に恨んだりしますよね。
そう。
まさしく、裏切った、と称して。

でもさ。
他者を扶ける人って、他者よりちょっと余裕があるに過ぎなくて、少し扶けるのが精一杯だったりするわけです。
そして、過剰に期待する人は、精一杯の人に甘えてつけあがって更に求める。
扶ける人の限界を超えても、尚。

そら、手を離すしかないでしょ。
自分まで斃れちゃうもの。

そうやって、今度は過剰に防御する人が生まれたり。
溺れる人の藁になるより、溺れる人が居そうな水辺にすら近寄らない、みたいな。
Sくんの言葉から逃げた女子高生のような。

防御する人ばっかりになっちゃうと、それはそれで冷たい世界ですよね。
現代の日本みたいにw

Yくんは過剰な期待はしなかった。
とゆーか、したかもしれないけどSくんを裏切者呼ばわりするに至る前に死を選んだ。

Yくんは不幸ですよね。
Sくんも不憫。

「貴方の人生は貴方のものだよ」

ミコっちゃんはそう云って、Sくんを扶けたましたね。
そのままで、生きていてもいいんだよ。と。
肯定を、してあげた。
希望を。

でも。

希望は期待を生む。
期待は甘えを。

Sくんが再び絶望したとき。

ミコっちゃんはその時も彼を扶けられるのだろうか。
期待させた責任を負えるのだろうか。

希望を与える者には覚悟が必要だ。

まあ、期待を持つ方にも覚悟が必要だけどねw
自分の足で立つと云う、当たり前の覚悟がねw

難しいね。
生きるって。



Posted on 2018/02/24 Sat. 19:53 [edit]

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